先週観た映画~「やっぱり契約破棄していいですか!?」 (★★★☆☆) (2018年英国)斎藤哲夫さん、2019年秋も大阪あります♪「三輪車」2019年10月5日(土)、6日(日)の2daysです♪

2019年09月30日

もう10年になるんですね♪加藤和彦さん、音楽家(2009年10月16日死去、享年62)

もう10年前になるんですね、

この日はたぶん土曜日か日曜日だったと思います、

当時、ワタシは東京に単身赴任中でしたが、自宅のTVで、NHKの昼のニュースで、

加藤和彦さんの自死を知りました、、、本当にびっくりしました、

加藤和彦

ワタシの自宅が加藤さんのご自宅と近かったというだけで、

とくに加藤さんの音楽を追い続けていたわけではありません、



でも、2002年に坂崎幸之助さんを迎えての“フォークル新結成”のニュースを聞いて、

なんか、あ~、こういうなんもありなんや、という気持ちになり、CDを買いました



これで数十年振りに拙いギターを弾く気持ちが蘇り、バンドを作り

ライブにも頻繁に行くようになりました、30年振りくらい覚醒(ガメラか)、

その後の15年くらいは楽しい音楽生活が送れました、、、加藤さんのお蔭、、、



加藤さん、享年62歳ですか、、、

もう、ワタシはその齢を越えているんですね、なんと、、、
 
なんか、不思議な感じですが、これが世界、

時間こそが世界を律する唯一の物差しだというような映画がありました、なんか、その感覚、分かるわ、、、



2019年8月に毎日新聞夕刊に掲載された記事を全文掲載します、

いろいろな思いが交錯する文章です、、、哀悼、、、



【毎日新聞の記事を全文掲載】

毎日新聞2019年8月21日 夕刊


会いたい・2019夏 加藤和彦さん 「自由とは何か」を聴かせて

加藤和彦さん 音楽家(2009年10月16日死去、享年62)

 
マイクスタンドの前に立った、きたやまおさむさん(73)の右隣はぽっかりと空いていた。9日夜、東京・中野のホール。「ザ・フォーク・クルセダーズ」(通称・フォークル)のメンバーとして活躍した時代に盟友がいたスペースを気にしていないかのように、1971年に作詞した「あの素晴しい愛をもう一度」を歌った。 
 
 ♪あの時 同じ花を見て

 美しいと言った二人の

 心と心が 今はもう通わない

 
この曲を作曲した加藤和彦さんの歌声を聴くことも、同じ花を見ることも、今はもうかなわない。長野県軽井沢町のホテルで彼が自ら命を絶ってから間もなく10年になる。

 
加藤さんは晩年、うつ病を患っていた。遺書にはこう書かれていた。「世の中は音楽なんて必要としていないし。私にも今は必要もない。創りたくもなくなってしまった。死にたいというより、むしろ生きていたくない」

 
悲痛な心情をつづった友に、きたやまさんはこの日のコンサートで言及した。「加藤の心はどんなふうだったのだろう」との思索を込めた独特の方法で--。

 
きたやまさんと共にステージに立つ杉田二郎さん(72)が、加藤さんの代わりに最後に歌い上げたのは、67年発売の「帰って来たヨッパライ」。ビートルズを思わせる斬新なメロディーと「オラは死んじまっただ~」と繰り返す型破りの歌詞のインパクトで、前人未到の280万枚を売り上げたヒット曲だ。

 
この曲にはボーカルの合間に、きたやまさんが神様の役で主人公をしかるセリフがある。


<なあ~、おまえ 天国ちゅうとこは そんなに甘いもんやおまへんのや もっとまじめにやれ~>

 
マイクを握るきたやまさんは、とても楽しそうだ。「加藤、悔しかったらおまえも戻ってこいよ」と挑発してみせ、聴衆にしみじみと語り掛けた。

 
「加藤を喜ばせようと思って作った『帰って来たヨッパライ』が結果的に大勢の人に喜んでもらえた。大勢に売れるものを作ろうなんて考えないほうがいい。解散後に音楽から離れた僕は、加藤にも『おまえもやめればいい』と言っていたんですよ」

 
この言葉には「音楽は必要とされていない」と一人で思い詰めていた友を救えなかった悔いを込めていたのかもしれない。

 
きたやまさんと加藤さんの出会いは65年8月にさかのぼる。当時19歳で京都の医大生だったきたやまさんは男性ファッション誌「MEN’S CLUB」の読者欄に目を留めた。「フォーク・コーラスを作ろう。当方、バンジョーと12弦ギター有。フォークの好きな方連絡待つ。加藤和彦」。京都市内の自宅住所も書かれていた。すぐさま自転車で会いに出掛け、一緒に音楽をやることになった。

 
彼らが世に送り出した歌はコミカルだったり、叙情的だったり、メッセージ性を感じさせたりと多種多様。アマチュア時代に作った「ヨッパライ」が爆発的に売れたが、プロ活動は1年限定の約束だった。68年に解散。きたやまさんは大学に戻り、その後、精神分析を専門とする九州大教授に。一方、加藤さんはロック色が強い「サディスティック・ミカ・バンド」を結成。次々に新分野に挑戦し、映画音楽や歌舞伎の舞台音楽を手掛けたほか、作曲家、音楽プロデューサーとして数多くのヒット曲も生み出した。

 
新しい世界を模索し続けた音楽家は、前述したように人生に自ら「終止符」を打った。

 
きたやまさんは加藤さんの死後に自宅兼スタジオを訪れている。機材や資料は処分されていたが、写真が1枚だけ残っていた。アマチュア時代のフォークルの解散コンサートを写したカット。きたやまさんは「あの時代に戻りたかったというメッセージ」と受け取った。自由に音楽を楽しんでいた、あの頃に……。

 
古希を過ぎ、老いと向き合うきたやまさんは「この年になると、医療のお世話にならずに生きているのは難しい。そういう状態でも、だらだら生きていくことが大事なんです。負けないで、だらだらと生きることが」。精神科医として、生きづらさを抱える人たちに、いいかげんで構わないと呼び掛けている。

 
ここでの「だらだら生きる」はネガティブな意味ではない。「どちらかというと日本人は『潔く死ぬのか生きるのか、はっきりしろ』と求める傾向がある。でも、思春期の頃は生き生きとしていた人も、大人になると半分死んだみたいになりますよね。既に半分死んでいるんだから死を怖がらなくても大丈夫です」。きたやまさんの冗談めかしたアドバイスは、常に時代の先頭を歩こうとした音楽家に宛てたようにも聞こえた。


平和と愛の表現、切り開く

 
きたやまさんと加藤さんは2002年、「THE ALFEE」の坂崎幸之助さん(65)を迎えてフォークルを新結成した。そして、南北に分断された朝鮮半島をテーマとして68年に歌った「イムジン河」に、その後の緊張緩和を歌詞に盛り込んだ新バージョンを発表した。付け加えた歌詞にはこうある。


♪イムジン河 春の日に

 岸辺に花香り

 雪解け水を得て 北と南結ぶ

 
米国と北朝鮮のトップによる直接対話が繰り返された今年、もし加藤さんが生きていたら新しい音楽を生み出したのではないか。

 
そんな疑問をフォークルのデビュー直後から活動を見続けてきた音楽評論家の田家(たけ)秀樹さん(72)にぶつけた。「加藤さんたちが切り開いた『イムジン河』のようなラブ・アンド・ピース的な音楽を総括しなかったことが残念でなりません」と悔やむ。やりたいこと、世の中に問い掛けたいことを音楽で表現するという新しい生き方を示した世代のリーダーとして、やるべきことがまだまだ残っていた、というのだ。

 
田家さんは「加藤さんには今の若い人たちに『自由とは何か』を聴かせてほしかった。社会に既にある何かの形に自分を当てはめる生き方ではなく、自分のやりたいことをやりながら生きるという『自由』の意味を、音楽で表現してきた人ですから」と話す。

 
もし、加藤さんが「ヨッパライ」の歌詞にあるように天国から階段を下りてきたら、どんなステージになるのだろう。コンサートを終えたきたやまさんに尋ねると「それは全く想像ができない」との答えが返ってきた。

 
ただ、ある音を思い出したという。「ヨッパライ」のボーカルはテープレコーダーを早回しすることで高音を出していた。元になった歌声は、きたやまさんの自宅で録音した。あの時、加藤さんはゆっくりと自分の声で歌った。「あれを交響楽団の伴奏を付けてやるんじゃないかと思う。でも、期待すると裏切ってくる人だから、結局そうはならないだろうね」

 
加藤さんは「同じことを二度とやらない」をモットーにしていた。それだけに、生み出した音楽には時代性があった。「分断」がキーワードになる現代だからこそ、平和や愛が込められた加藤さんの音楽を聴きたい。

【奥村隆】

(全文掲載ここまで)





syougai1pon at 05:30│Comments(0) 日記 

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