2012年01月17日
今日で17年目です、1995年1月17日(火)午前5時46分、阪神・淡路大震災発生、
今日は東京出張です、
そして、今日で阪神淡路大震災から17年目です、早いものです、、、
・・・・
1995年1月17日(火)午前5時46分でした、兵庫県芦屋市でこの地震を体験しました、後日の認定は震度7強、それは怖かったです、マンションが壊れたと思いました、ジャンボジェットがマンションに衝突したのかと思いました、
組み立て式のIKEAのベッドはあえなく壊れ、猫が2匹腰を抜かしてベッドルームに逃げ込んで来ました、この部屋に洋服ダンスが無くて助かりました、、、リビングの食器棚は当然倒れてガラス・陶器が散乱、妻をベッドに残して、真っ暗の中、スリッパでガラス・陶器の破片を押し分けて玄関へ向かいましたが食器棚が邪魔でドアが引けません、食器棚を押し動かしてなんとか玄関ドアを開けると、住民がすでに避難中、「ガスの臭いがするから逃げたほうがいいですよ」、こりゃ急がないと、
懐中電灯などはどこにあるのかもわからない状態なので、再度部屋に入って手探りでコートなどをひっつかみ、妻と2匹の猫をゲージに入れてなんとか脱出、ここまでで40分くらいかかっていると思います、
国道43号線に出ると西の方の阪神高速道路が倒れています、しかし、この衝撃的な光景を脳ミソは受け付けません、驚くというより、茫然としながら見なかったことにする、みたいな感覚、とりあえず近くの小学校の校庭に避難、ここで妻とワタシがコートを取り違えて着ているのに気付いて交換、
近くにお住いの大森一樹さんが様子見に来られました、ここに避難するのですか?、さあ?とりあえずここで様子見ているのですが・・・
その後、寒いので体育館に入ったのですが、ほどなく遺体安置所になることになり、市役所のロビーに移動、ここで一夜を明かすことに、、、1階が潰れたアパートから救助されたパジャマの女性(隣りが建設会社社員だったので、その会社の社員が2階の床を打ち抜いて社員を救助、その次に助けてもらったそうです)、なにも持ち出していないとのこと、服や現金を渡す(春頃にわざわざ現金を返すために連絡があり無事を喜び合いました)、
その日の夜には(たしか)三田市からのおにぎりが配給されました、数が足りないので夫婦は二人で1パックとのお願い、おにぎり2個入りパックを分けていただきました、ありがとうございます、
当日中に湘南市の消防車や自衛隊が到着、本当に感謝感謝でありました、
翌日には車で裏道で妻を実家へ送り届け、行方不明の猫を探すのに3日間、行ったり来たり、ネコを全部見つけてからはボランティアに参加、情報の取りまとめと支援物資の配給システム作りをお手伝い、それなりに仕事のノウハウが活きる場面があり、ボランティアの意義を初めて知りました、
、
なんか、久しぶりに想い出しました、
・・・・
昨年の東日本大震災であらためて地震の怖さを(そして津波の恐怖も)確信、原発の脆さも明らかになりました、残念ながら原発の方は17年ほどでは風化することもなく、あの無残な姿のまま廃炉処理が進んでいることでしょう、神戸は見事にその街並みを復興させましたが、人の心の傷跡が消えたわけではないでしょう、
もう一度、心に当時の気持ちを呼び起こしていきましょう、そういうと17年前の1月17日も東京出張予定の朝だったなあ、、、
そして、今日で阪神淡路大震災から17年目です、早いものです、、、
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1995年1月17日(火)午前5時46分でした、兵庫県芦屋市でこの地震を体験しました、後日の認定は震度7強、それは怖かったです、マンションが壊れたと思いました、ジャンボジェットがマンションに衝突したのかと思いました、
組み立て式のIKEAのベッドはあえなく壊れ、猫が2匹腰を抜かしてベッドルームに逃げ込んで来ました、この部屋に洋服ダンスが無くて助かりました、、、リビングの食器棚は当然倒れてガラス・陶器が散乱、妻をベッドに残して、真っ暗の中、スリッパでガラス・陶器の破片を押し分けて玄関へ向かいましたが食器棚が邪魔でドアが引けません、食器棚を押し動かしてなんとか玄関ドアを開けると、住民がすでに避難中、「ガスの臭いがするから逃げたほうがいいですよ」、こりゃ急がないと、
懐中電灯などはどこにあるのかもわからない状態なので、再度部屋に入って手探りでコートなどをひっつかみ、妻と2匹の猫をゲージに入れてなんとか脱出、ここまでで40分くらいかかっていると思います、
国道43号線に出ると西の方の阪神高速道路が倒れています、しかし、この衝撃的な光景を脳ミソは受け付けません、驚くというより、茫然としながら見なかったことにする、みたいな感覚、とりあえず近くの小学校の校庭に避難、ここで妻とワタシがコートを取り違えて着ているのに気付いて交換、
近くにお住いの大森一樹さんが様子見に来られました、ここに避難するのですか?、さあ?とりあえずここで様子見ているのですが・・・
その後、寒いので体育館に入ったのですが、ほどなく遺体安置所になることになり、市役所のロビーに移動、ここで一夜を明かすことに、、、1階が潰れたアパートから救助されたパジャマの女性(隣りが建設会社社員だったので、その会社の社員が2階の床を打ち抜いて社員を救助、その次に助けてもらったそうです)、なにも持ち出していないとのこと、服や現金を渡す(春頃にわざわざ現金を返すために連絡があり無事を喜び合いました)、
その日の夜には(たしか)三田市からのおにぎりが配給されました、数が足りないので夫婦は二人で1パックとのお願い、おにぎり2個入りパックを分けていただきました、ありがとうございます、
当日中に湘南市の消防車や自衛隊が到着、本当に感謝感謝でありました、
翌日には車で裏道で妻を実家へ送り届け、行方不明の猫を探すのに3日間、行ったり来たり、ネコを全部見つけてからはボランティアに参加、情報の取りまとめと支援物資の配給システム作りをお手伝い、それなりに仕事のノウハウが活きる場面があり、ボランティアの意義を初めて知りました、
、
なんか、久しぶりに想い出しました、
・・・・
昨年の東日本大震災であらためて地震の怖さを(そして津波の恐怖も)確信、原発の脆さも明らかになりました、残念ながら原発の方は17年ほどでは風化することもなく、あの無残な姿のまま廃炉処理が進んでいることでしょう、神戸は見事にその街並みを復興させましたが、人の心の傷跡が消えたわけではないでしょう、
もう一度、心に当時の気持ちを呼び起こしていきましょう、そういうと17年前の1月17日も東京出張予定の朝だったなあ、、、
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この記事へのコメント
1. Posted by 村崎 2012年01月18日 19:36
あの日の朝は、愛知でも大変揺れて目が覚めました。
いまだに精神的に大きな傷を負っている被災者の
方がみえますね。
決して忘れてはならない日です。
いまだに精神的に大きな傷を負っている被災者の
方がみえますね。
決して忘れてはならない日です。
2. Posted by テリー 2012年01月22日 10:48
村崎さん…毎度です♪
お久しぶりです、
はや17年です、もう、街並みは完全に復興しています、
でも、昨年は東日本大震災がありました、
もう一度、1・17を想い出しながら、東北に思いを送りたいと思います、
お久しぶりです、
はや17年です、もう、街並みは完全に復興しています、
でも、昨年は東日本大震災がありました、
もう一度、1・17を想い出しながら、東北に思いを送りたいと思います、